よくわかったつもりになれる銚子電気鉄道
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銚子電鉄とは?
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おまけ

■銚子電気鉄道とは?

▲外川駅で並ぶ伊予鉄コンビ
▲2005年くらいまでの旧塗装

 銚子電気鉄道は房総半島の東端、銚子市の中心部の銚子駅より、総武本線をそのまま延伸するような形で、仲ノ町、笠上黒生、犬吠埼灯台最寄り駅の犬吠を経て、外川へと至る全長6.4km 10駅の小さな私鉄です。

 一般には濡れ煎餅と鯛焼きを直営で製造・販売する、古い電車が走っている鉄道会社としておなじみでしょうか?
随所に残るレトロな施設や、現在でも第一線で活躍する昭和30年代の車両など、犬吠埼灯台などと共に銚子電気鉄道に乗ること自体が銚子観光の目玉となっているようで、休日ともなると観光バスツアーや個人旅行などなど、多くの観光客が訪れています。


 銚子の中心部から犬吠埼への鉄道の歴史は意外に古く、100年以上前の1912年に創立された“銚子遊覧鉄道”という会社が1913年に銚子〜犬吠間(現在の犬吠駅の少し外川方)に小さな蒸気機関車により鉄道を開通させたことから始まります。

ですが、ひどい赤字経営だったため4年後には、経営者は将来性のないと踏んだ鉄道の営業を停止したのちに会社は解散してしまい、線路跡地は地元旅館によりバス専用道(日本初のバス専用道といわれており、今流行りのBRTのはしり)となってしまいました。

 銚子遊覧鉄道の廃止後も、総武本線の犬吠埼方面への延伸運動など鉄道復活計画が幾度も出されるなど、地元での鉄道熱は冷めることは無く
1922年に地元有志により銚子鉄道(こちらが現在の銚子電気鉄道の前身)が設立されました。

そして、外川漁港で捕れる魚を町へ、観光客を犬吠埼へ輸送する目的で1923年7月に銚子遊覧鉄道の廃線跡を利用し、区間も銚子〜外川に延伸して開業。
以後も苦しい経営が続き、1948年8月には、銚子電気鉄道と現在の社名に変わりました。

 1950年代後半〜1960年代には変電所施設の故障があっても修理することができずに長期運休することや、乗車のお願いを市から出してもらうということもあったとのことで、このころから鉄道廃止を地元に打診するなど、以前より幾度もの廃止の危機に瀕していました。

そして、鉄道運行の赤字額を少しでも補てんすべく、鉄道会社直営で鯛焼の販売や、(1976年)や濡れ煎餅(1995年)の製造・発売をするなどの驚くべきアイデアで危機を乗り越えましたが、 元社長による使い込みが発覚し、銀行の融資が停止。

2006年11月には車検切れの電車を検査できず、通常の列車運行すら危ぶまれる非常事態に陥ってしまい、同月15日には後に話題となる

「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」

という断末魔の叫びにも似たメッセージが公式Webサイト上にアップされ、顛末を含めて一躍有名になりました。

 そして、巨大掲示板集“にちゃんねる“をはじめとするネット住民有志、鉄道ファン有志、マスコミ等の報道で観光客が増えるなど支援の輪が広がり、
乗客も増えるなど濡れ煎餅を含めてですが、若干ながら黒字に転換し経営改善の兆しが見え始めたため、線路施設の整備や、新車を導入。

 しかし、2011年3月の東日本大震災で大きな被害こそ出しませんでしたが、風評により銚子への観光客が減少してしまい、再び経営が悪化。
ついに、力尽きてしまい2013年2月になって自主再建を断念することなり、以降はスポンサー探しをすることになってしまいました。

また、2014年1月には脱線事故を起こし、2週間運休することとなってしまいましたが、3月ごろには脱線事故を契機に、県と国による支援が決定し、当面の間の危機は脱しました。

開業当時から苦しい経営で廃線の危機に幾度も瀕していますが、それらを乗り越え銚子電気鉄道は銚子市内の重要な交通、観光スポットとして活躍しています。

(本文より抜粋・要約)


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