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鹿島線とは?

 鹿島線は、成田線の香取駅から北へ分岐し、潮来・鹿島神宮を経由し鹿島サッカースタジアムまでを結ぶ鉄道路線です。

日中は主に成田線の佐原駅から鹿島神宮までの折り返し列車で運行されています。

現在の鹿島線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線にあたる佐原〜鹿島〜水戸への鉄道は大正時代に計画があがり、それ以外にも人々から大きな信仰を集めていた鹿島神宮を目指して様々な鉄道が計画されていました。
しかし、千葉県側から鹿島神宮へは、車の走れるような道路が無い、もっぱら自家用船が活躍するような水郷地帯であり、霞ケ浦や利根川などの大河、無数の小さな川を越えなければならないことから遅々として計画は進みませんでした。
 そして、鹿島臨海工業地帯を建設するにあたり、大量輸送機関が必要となることから、国鉄鹿島線として、成田線香取駅から鹿島を経由し水戸を目指して鉄道建設公団の手により建設が開始。
 大河を長大鉄橋で、無数の小さな川がある水郷地帯は一気に高架橋で突っ切り、昭和45年(1970年)8月に香取〜鹿島神宮間が開業し、4か月後の12月には、鹿島臨海鉄道鹿島臨港線との中継駅となる北鹿島貨物駅(現在の鹿島サッカースタジアム駅)まで開通しました。

 ただし、当時の北鹿島駅周辺の人口は少なく、特に集客出来るような施設もないので旅客営業については、ひとまず鹿島神宮までとなりましたが、昭和53年(1978年)より5年間、成田空港への燃料輸送となると、空港反対過激派によるテロの標的となる可能性は大きく、住民への見返りとして、鹿島線と鹿島臨海鉄道鹿島臨港線の鹿島神宮〜北鹿島〜神栖〜鹿島港南で旅客輸送を行うこととなり、今まで貨物輸送オンリーだった鹿島神宮〜北鹿島間にも(国鉄の列車ではありませんが)旅客列車が1日3往復走ることとなりました。(それでも北鹿島は通過扱い)

 また、建設中だった鹿島線の延伸区間(北鹿島〜水戸)については、予測輸送密度が4000人/kmを超えることから、建設続行とはなりましたが、国鉄としては受け取りを拒否したいということで、鹿島臨海鉄道を沿線自治体などによる増資の上鹿島線延伸区間を受け取ることとなり、昭和60年(1985年)3月に水戸〜北鹿島が大洗鹿島線として開業し、北鹿島〜鹿島神宮間は鹿島線に乗り入れるスタイルとなりましたが、この時点で北鹿島駅は貨物駅のままであり、双方の終着駅にもかかわらず貨物駅なので旅客全列車通過という非常に珍しい形態となりました。  そのため、JR時刻表などは“北鹿島駅は全列車通過します”という注釈付きで書かれており、さらに青春18きっぷなどの利用や、鹿島線と鹿島臨海鉄道をまたがる乗車券の場合は連絡駅として旅客営業がない貨物駅の北鹿島駅発着の乗車券が発行されていました。

 1993年にJリーグが開幕した際に、鹿島町(当時)をホームとするチーム、鹿島アントラーズが結成され、ホームグラウンドとしてカシマサッカースタジアムが北鹿島駅のすぐ近くに完成。 観客輸送のために鹿島神宮駅や鹿島大野駅からバス連絡としていましたが、北鹿島駅の旅客化が要望され、鹿島サッカースタジアム駅として旅客化されましたが、それもサッカーの試合日やイベント時のみで、そのほかの日は今までと同じく。旅客扱いを行わない貨物駅として営業されることとなりました。

 車両は総武・成田線と同様に、普通列車に113系が使用されていましたが引退し、京浜東北線から来た209系に置き換えられました。
また、総武快速線からの直通列車とその間合いにE217系、貨物列車にEF64・EF210が使用されています。2015年の改正では特急列車が廃止されましたが、夏はあやめ祭り臨に多彩な車両やってくるなど、バラエティーに富んでいます。




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